虐待で一時保護された子どもは、家庭復帰できない場合、児童養護施設や里親家庭などで暮らすことになります。
虐待の心の傷に対処するため、児童養護施設には心理療法(心の治療)を担当する職員が配置されています。
今回は、東京都葛飾区にある児童養護施設 希望の家を訪ねて、臨床心理士で主任・治療指導担当職員を務めている長谷川順一先生にお話を伺いました。
虐待の心理的影響
――平成25年度の全国調査では、児童養護施設で暮らす子どものうち、虐待を受けたことのある子どもの割合は6割とされていました(身体的虐待、心理的虐待、ネグレクト、性的虐待の総数)[1]。
「児童相談所における児童虐待対応件数はその後も年々増加していますよね。虐待を受けたことのある子どもたちのケアは欠かせないものになっています。
そもそも、児童養護施設に心理職が配置されるようになったのは、虐待を受けた子どもの入所が増えて、トラウマなどに対する心理的なケアの必要性が強まったからでした。」
――虐待を受けた子どもへのケアというと、「トラウマ」「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」を連想する人は多いと思います。
「例えば身の安全に関わるような危険にさらされて、どうしようもできないときに、その場で感情や感覚が麻痺したり、記憶を切り離したりすることによって乗り切れる場合があります。
そのような防御システムは危機状況においてとても役に立つことがありますが、一方でその体験のインパクトがあまりに強かったり、何度も繰り返し体験することが続いたりすると、危機が去った後の日常でも防御システムが作動し続けてしまうことがあります。
それによって、緊張が続いたり、記憶が抜け落ちてしまったり、感情が感じられなくなったり、フラッシュバックが起こるなど、日常が混乱してしまう状態をPTSDと言います。
そのような方には、危機状況が去ったあとでも継続して日常のサポートが必要な場合があります。」
――保護されて施設で安全に過ごしていても、トラウマ体験の影響がただちに消えるわけではないんですね。
「PTSDのような症状があるお子さんの場合、トラウマ記憶につながる刺激に接するたびに強い不安・恐怖を感じたり、日常生活の中でフラッシュバックが何度も起こってしまったりします。
症状をそのままにしておいては生活に支障がありますし、一人の力で回復するのは難しい場合も多いので、その子が施設にいる間に治療も含めたケアをしてあげることが重要と考えています。」
基本的な安心感、信頼感
――子どもを重点的に治療する施設としては「児童心理治療施設」があります。心理治療施設ではなく、日常生活の場である児童養護施設で子どもの心理的なケアを行う場合に、長谷川先生が気をつけていることはどんなことでしょうか?
「児童養護施設のお子さんは、『守られている』という感覚を感じずに育ってきていることがとても多いです。
常にどこかで不安や恐怖を感じていて、施設にきた後も『これをやったら怒られるのではないか』、『失敗するかもしれないから挑戦しないでおこう』と思ってしまうことがあります。
これに対して大人が『怒らないからやってごらん』と口頭で伝えただけではダメで、普段から安心できる環境がないといけないんです。」
――いわゆる「平穏な日常」が、施設に来たばかりの子どもにとっては非日常かもしれないわけですね。
「普段から安心・安全な環境で過ごすことができていていれば、子どもは『失敗しても逃げ込める場所がある』と感じられるようになり、失敗を過度に恐れることがなくなります。
そうすると、その子がやりたいことに伸び伸びとチャレンジできるようになります。
例えば『運動が苦手だけど、部活に挑戦してみようかな』、『人間関係が心配だけど、アルバイトしてみようかな』という気持ちになれるんですね。
職員が『ちゃんとサポートするから、挑戦してみなよ』と後押しができるのは、日頃の安心感や信頼関係があるからこそだと思っています。」
――そういう地道なプロセスの先に、施設を出て自立していく道筋が見えてくるんですね。
「希望の家では、子どもがやりたいことは入所中になるべくチャレンジさせてあげようという方針をとっています。
大人が『できる、できない』を言い聞かせるのではなく、本人に実際に挑戦してもらうということです。
入所中にいろいろな経験を積んで世の中を知り、『自分はこっちに向いている』ということを掴んで欲しいなと思っています。
ただ、そういう経験の機会を施設の中では提供しきれないので、外部の資源を活用させていただくことが必要になってきます。」
まずは「人を頼る」ことが目標
――児童養護施設では、中学生以上の高齢児の入所もあります。安心感の獲得から自立の準備までを2~3年で消化しないといけないというのは、簡単なことではない気がします。
「希望の家でも、中には高校3年生で入所して来るお子さんがいます。『それまで一度も人に頼ったことがなくて、なんとか自分の力でこなしてきた』という子もたくさんいます。
こういうケースできちんと自立の準備をしようとしたら、もちろん時間はかかりますね。」
――20歳まで措置延長したとしても、時間的に厳しい面もあるのだろうと思います。
「そうですね。ただ、時間的制約があるとしても、心理職としてはせめて『何かあれば人に頼っていいんだ』ということを施設にいる間に身につけてもらいたいなと思います。
失敗しても、うまくいかなくても、人を頼れば解決できるかもしれない。もしかしたら、諦めかけたことが実現できるかもしれない。
自分からヘルプを求められるようになれば、退所後に壁にぶつかったり、新しいことにチャレンジしたいと思ったりしたとき、きっと大人を頼ってきてくれるんじゃないかと思います。
そうできれば、ひとまずその子は社会で生きていけるかな、と思います。」
――子どもが「この世界」に対して安心や信頼を感じてくれれば、徐々に人を頼ることも身についていくのでしょうね。
「実際には、施設を出た後、困ったときに本人からなかなか発信してきてくれず、深刻な状態になってからようやく施設が把握する、ということも起こり得ます。
人を頼る、相談するという経験を入所中にどれだけ積み重ねることができるか。…実際は『困った』という状況に置かれることにあまりにも慣れ過ぎてしまっていて、そういう状況で「人を頼ろう」と思えるまでにはそうとうに険しい道のりもあったりするのですが。
施設にいられる時間が短いとしても、せめてそこまでのケアをしてあげられたらその子の可能性も広がってくるんじゃないかなという思いは強くありますね。」
――子どもが虐待の傷から「回復」していくために、児童養護施設(や里親家庭)での落ち着いた生活が重要だということがよくわかりました。長谷川先生、ありがとうございました!
希望の家に取材したニーズ紹介の記事も合わせてご覧ください。
参考文献
- [1] 厚生労働省雇用均等・児童家庭局「児童養護施設入所児童等調査(平成25年2月1日現在)」平成27年1月26日公表、2019年7月29日閲覧( リンク )
社会で子育てドットコム編集部
「社会で子育てドットコム」編集部では、虐待や経済的事情などの理由により親と暮らせない子どもたちを中心に、児童福祉についてニュース紹介や記事の執筆をしています。NPO法人ライツオン・チルドレンが運営しています(寄付はこちらから→ https://lightson-children.com/support/#donation )。
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